トルコ風の結婚式

 
1998年 企画:ソン・シネマ(カザフスタン) 
 
 多民族国家ソ連は、帝政ロシアと同様か、もっと酷い「諸民族の牢獄」であったし、労働者の天国でもなかった。しかしながら、そこに暮らす庶民たちの一つ一つの家庭には、ささやかな喜びもあれば、未来への希望もある。

 高麗人映像作家、ラウレンティー・ソンは、同じ強制移住の苦しみを味わったメスフ人の民俗色ゆたかな婚礼を通じて、喜びと悲しみを交錯させて描き出した。

 ソ連には外国と国境を接して国防の意義を持たされたソ連構成共和国、次ぎに内陸部の民族に与えられた「自治共和国」、「自治管区」などという民族行政区画があったが、第3のカテゴリーとして、何の権限も与えられなかった民族も少なくなかった。国境を接して存在する外国に同族がいる民族、たとえばフィンランド人、ポーランド人、ドイツ人、ルーマニア人などは、例外をのぞいては民族行政区を与えられなかったし、それどころか、外国と内通するのではと疑惑の目で見られていた。こうしたソ連在住の非抑圧民族の中に高麗人がおり、トルコ人がいた。


 

 1921年に二つの帝国の継承国家となった革命ロシアとトルコは、モスクワとカルスで友好条約を結び国境を確定したが、この結果、グルジアのメスヘティア地方のトルコ人は、トルコと切り離されて生きることを余儀なくされた。彼ら、メスヘチアのトルコ人は、トルコ人と呼ばれず、メスフ人と呼ばれたり、近隣のアゼルバイジャン人と呼ばれたりしていたが、第2次世界大戦中に、中央アジア・カザフスタンに強制移住させられた。もともと勤勉だった彼らは、強制移住先でも農業の才能を発揮して、豊かな果樹栽培、酪農民となったが、ソ連末期、より貧しい多数派住民(民族)の妬みを買うようになる。

 

 フェルガナ盆地は中央アジア最大の人口密集地だが、ウズベク共和国では、ウズベク人がトルコ人を襲う事件が起こったり、この作品で花嫁の実家のある、キルギス共和国のオシでは、多数派のキルギス人がウズベク人を襲う民族紛争が起こっている。いずれもより豊かな少数派が、不満をぶつけられている。この様な事態は、ユダヤ人の次ぎに、高等教育を受けた者の人口比が高く、比較的に豊かな者が多い高麗人にとっては、全く人ごとではないのである。
 

 
  
日本語字幕作成: 東京シネマ新社
脚本・監督: ラウレンティー・ソン
 

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