大正末期(大正11年以後)、水澤町関係者により撮影され、後藤新平と斉藤實に贈呈された映画と想定される。なお後藤新平の甥が椎名悦三郎。 ジープを使った大掛かりな活動撮影隊により本格的な製作(コダックから16mmカメラが1923年発売、東京シネマ新社代表岡田一男氏から)。同様の映画は後藤新平記念館にも所蔵されているらしい(記念館関係者)。相当初期の映画で、地元の大金持ちが映画制作に取り組んだものと思われる。
内容は神社の映像から始まるが、神社名は駒形神社。次いで日高火防祭。水澤は大火に見舞われ、佐々木佐五平を東京に送り、消防隊を結成(1775年前後)。ここから、日高火防祭が始まる。300年前からの祭りで。京都の祇園祭りの小型版、有名らしい。映像はこの祭りを詳細に。
画面は一変、緯度観測所の様子を詳細に映像化、台湾地震の記録が見られる(大正11年)。これらの施設は国立天文台へと。詳細な内容を問い合わせ中。
当時相当栄えた町であることが想像される。人力車が走り、自動車も1台見かける。三陸銀行など3銀行の看板が見られる。①三陸銀行:大正10年に水沢貯蓄銀行から改称(名称変更)した銀行である。その後、昭和4年に岩手銀行に合併されたので、大正10年~昭和4年の間の映像であること。②水沢銀行:昭和2年に岩手銀行に合併。③盛岡銀行水沢支店:昭和6年に廃業。映像は少なくとも昭和2年以前の映像(銀行に関する情報は(http://www.ougonrail.com/)副管理者武蔵さんから)。
水沢銀行内で1万円の定期預金の証書が(大正11年)撮影されているので、大正11年に撮影されたと推定される。当時の1万円は想像しがたい金額、いとも簡単に定期預金に(現在の1億円相当とのこと)。銀行入り口の看板には勧業債券の売り出しが、1903年には日本銀行から発行されているようである。
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