「死線を越えて」賀川豊彦物語(短縮版)について 元日本生協連常務理事 岡本好廣
2009年は[賀川豊彦 献身100年]の記念行事が全国的に行われ、現在も続いています。1909年に神戸市葺合新川のスラム街で路上伝導と救済活動を始めてから100年になるのを記念して、多彩な催しが展開されました。 映画「死線を越えて」賀川豊彦物語は1998年に生誕100年を記念して製作された同名の劇映画の短縮版で、<賀川豊彦記念松沢資料館>から提供を受けて配信するものです。「死線を越えて」は1919年に出版された3部作の自伝小説で、合わせて420万部を越えるベストセラーになりました。これは日本だけでなく、各国語に翻訳されて世界中で読まれました。賀川豊彦がプリンストン大学で学んだという親近感もあって、アメリカでは“Beyond the death-line”“Before dark”というタイトルで2つの翻訳書が出版され、多くの人に読まれました。
賀川豊彦は3度のノーベル平和賞候補の他、1947,48年と2度に亘ってノーベル文学賞の候補になりましたが、これはアメリカの推薦によるものです。賀川豊彦は日本生活協同組合連合会の初代会長で、私は新人職員時代亡くなられるまでの3年間、親しく指導を受けました。職員は誰も会長とは云わず、賀川先生と呼んでいました。好奇心が旺盛で、ユーモアがあり、若い職員を分け隔てしない人間性に心を打たれました。社会学、経済学、哲学、文学、物理学、生物学、天文学に通じ、雄弁家であり達筆家でした。種々の専門的な論文の他、小説は勿論、評論や詩から漫画まで画かれ、「天は2物を与えず」と云いますが、2物どころか4物も5物ももった天才的な人でした。救貧運動、労働運動、農民運動、生協運動、平和運動と70年の生涯を民衆の幸福のために捧げられたのです。
世界中が経済危機に見舞われ、日本では貧富の格差が広っている現在、賀川豊彦が存命であれば国内外を問わず、人々を鼓舞してこれらとの闘いの先頭に立って運動を展開したでしょう。この映画からそうした賀川豊彦の生きざまとメッセージを受け取っていただければ幸いです。 |