「68の車輪」の撮影 |
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撮影者 春日友喜 |
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半世紀に近い昔の作品であり、当時の記憶は、大半消えてしまいましたが、 断片的に残った撮影現場の様子を、呼び起こしてみたいと思います。当時の制作者、制作主任、監督、撮影、照明、録音担当者など主要なメンバーは既に他界し、私以外に見当たりません。しかし、作品は残り、久米川先生のご努力により、再び日の目をみることができ、大勢の方に観て頂ける事を大変嬉しく思っています。 回想 一 さて撮影隊といえば、この状況を予測できず、、甘い撮影設計がアット言う間に崩れ、頼みのライトが所定の場所に届かず、ライト、ライトと大声で叫ぶカメラマン、重いライトを運びながら怒鳴り返すライトマン達、次第に殺気だって来ました。作業用のライトでもちょっと当たればカメラは回る。この緊張と疲労は夜明けまで続き、今まで経験したこともない、撮影現場だったと記憶しています。 デパートの屋上から撮ったロングショット。画面の中では、ライトマン達が重い10キロライトを担ぎ右往左往しながら、必死で照らそうとしている様子が。普通だったらライトが剥きしの画像なんて撮るわけがないのですが、これがドキュメンタリ映画です。 今ではあの時の助手は誰だっけなんて思い出し、プット吹き出しながら、楽しく振り返れる程年月が過ぎ去ってしまいました。
私はB班として撮影に参加していました。友軍と言うか割合気楽な立場で、運ばれるトレーラーの回りの状況を、味付け用に撮影する役目。春の野原を一週間ほど楽しめる予定だったのです。しかし踏み切りを渡った翌日、異常事態が起こりました。 車の免許を取ったばかりのカメラマンが、昼休みの間に交通事故を起こして病院に入院。直ぐに現場の進行係りが病院向かったのですが、状況を充分運搬担当者に伝えない内に、何事もなかったように午後の作業を開始したのです。 その瞬間、友軍であった私がメインのカメラマンに早変わりし、有無を言わせずトレーラーの周りを走り回り撮影しました。交通事故の様子を気に掛けながらも、タイヤの側で身構えると、当然のように撮影に集中。夕方、田んぼの低い土手つまずいて転ぶ程、疲れ果てていたことを今でも鮮明に覚えています。 カメラマンは、対向車と正面衝突した割にはたいした怪我もなく、一週間程度で退院しましたが、現場への復帰は出来なかったようです。
断片的な記憶の中で、今でも鮮明に思い出せる人がいます。あのトレーラーの屋上でハンドルを握っていた運転手の顔です。50歳前後で精悍な表情と真剣な目を持っていた、本当のプロのドライバーの威厳がありました。危険な場所に来ると、何回となく大声で怒鳴られたものです。 こちらも少々邪魔をしても是非あの顔を撮りたいので、夜になると、ライトを照らす。運転者は見にくい筈で、鬼のような顔をして怒鳴ります。撮り終わってすみませんと大声で返します。そして目と目が合うと、何かお互いを認め、通じあっていたような気がします。私よりかなり年輩のように見えたので、多分もうお会いすることは出来ないでしょう。 無我夢中で頑張った 68の車輪 、今は亡き朋友M監督。いつも撮影中、彼の顔は、左肩の側にありました。。そして次の撮影対象を耳元で指示してくれたのです。スタッフの皆さんから信頼、尊敬されていた監督が、完成後、教育映画祭で演出技能賞を受賞され、、全員苦労が向われたと思う。
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