子どもの物語にあらず

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社会東京シネマ新社

作品概要

製作:スタジオ・ハン・アナ・ナフ、ANS TV
2001年 カラー 29分

この作品は、第2次チェチェン戦争の戦火を逃れて、チェチェン各地からアゼルバイジャンの首都、バクーに難民としてたどりついた子どもたちの証言をカメラに収めたものである。

作品の冒頭と末尾で少女が唄うのは、北コーカサス随一の美しい公園都市であった首都グローズヌイを頌えるもの。子どもたちのおぞましい体験の証言に交錯するニュース映像のロシアの大人たちの勝手な言い分が、この汚い戦争の本質を暴いて強烈なメッセージを発している。

人口たかだか100万だったチェチェン人は、1994年に始まり、今もだらだらとゲリラ戦が続く今日までに、大半を非武装民間人が占める25万の人命を失った。そのうち4万人は、罪なき子どもたちである。

作者は、チェチェンの女性ジャーナリスト、ザーラ・イマーエワ(1961年生まれ)。彼女は北コーカサスの山岳地帯の村、シャトイで産まれ育って、映画監督となることを夢見た。

しかし1980年代初めのソ連の映画人養成機関である全ソ国立映画大学(VGIK)は、あまりにも狭き門であった。
しかし彼女の才気は、優るとも劣らぬ狭き門、モスクワ国立大学(MGU)ジャーナリスト学科への入学を果たさせた。

学生結婚と育児を挟んだ10年にわたる在学中、彼女は後に、独立の指導者となるチェチェン人学生たちの地下運動に加わると同時に、映画への執念を燃やし続けて、モスクワのさまざまな映画スタジオにアルバイトの助手として出入りして、さまざまな知識や技術を修めていった。

2008年現在も亡命先のバクーで暮らし、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の子どもたちを、芸術的創作活動で治療するアートセンターDiDiの活動を続けている。

この作品は、家庭用ビデオカメラで、作者自らがインタビューし撮影し、ナレーションまでつけてまとめたささやかなものだが、彼女の豊かな才能と、大国ロシアに押しつぶされた民族の悲劇に近隣民族として同情と支援を惜しまないアゼルバイジャンの映画人たちの協力のたまものである。

ロシアでは2001年に、ノーベル平和賞を受賞した人権活動家アンドレイ・サハロフ博士の未亡人エレナ・ボンネル女史らの尽力で公開されたが、そのことを報じたテレビ番組は、後にそのウェブサイトから一部放映の事実も抹殺された。

日本では、2003年に国際人権団体アムネスティ・インターナショナル日本の招聘で作者の訪日が実現し、全国17箇所で彼女の講演とともに本作品が上映された。

スタッフ

演出・撮影:ザーラ・イマーエワ
製作:エミル・グーネ
編集:
サミル・ユスボフ、ミサ・アリーエフ、パブリツ・アブベキーロフ
技術協力:
フアド・アリーエフ、ワディム・アレクサンドロフ、
サミラ・イブラギーモワ
翻訳:岡田一男、岩崎薫



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