常滑のやきもの-市制20周年記念制作-

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芸術・祭り・神事・体育東京シネマ新社

作品概要

制作:東京シネマ新社 企画:常滑市
製作協力:オクス カラー 19分43秒

常滑焼のルーツ、特長、歴史的推移と役割などを描いた作品。陶器に関心、無関心にかかわらず興味深い作品であり必見の作。常滑焼に関心をお持ちの方はぜひご覧ください。

参考資料

愛知県知多半島の陶芸の総称。慣用として「とこなべやき」ともいう。

常滑焼は初め平安時代の名窯・猿投窯(さなげよう)の支窯として開かれたが、12世紀になって在地の需要層をつかみ、地下に掘った大型の窖窯(あながま)で自然釉(ゆう)のかかった粗雑な甕(かめ)、壺(つぼ)、擂鉢(すりばち)を焼く窯として急成長を遂げた。

窯は常滑市、半田市、大府市、東海市、東浦町、武豊(たけとよ)町に広く分布し、現在知られている1200基以上の中世古窯址(し)群はわが国第一の規模を誇るが、推測では中世を通じて約3000基の窯が築かれたとする。

その製品は青森県から鹿児島県まで、ほぼ全国を網羅して販売され、その影響下に宮城県の伊豆沼古窯から兵庫県の丹波(たんば)窯まで、多くの窯が誕生している。

室町時代になると備前(びぜん)焼(岡山県)の勢いに押されて指導力が衰え、桃山時代の陶芸の全国的な隆盛期にあってもさしたる展開は示さなかったが、江戸初頭に窯は半地下式大窯(鉄砲窯)に変わって常滑市域に集中していき、江戸後期には連房式登窯(のぼりがま)も導入されて、この地で真焼(まやき)、赤物、朱泥(しゆでい)、瓦(かわら)などが生産された。

真焼は登窯で焼かれる素焼の焼締め陶、赤物とは大窯で焼く低火度の素焼土器である。朱泥は鉄分の多い良質の粘土で、これを用いた文人趣味の急須(きゅうす)や煎茶(せんちゃ)茶碗をはじめ各種の什器(じゅうき)は、近世・近代の常滑陶の特産品となった。

今日ではこれら各種の製品に加え、陶管、タイル、衛生陶器などの産出も多い。(小学館百科事典より引用)

学術指導

常滑陶芸研究所 沢田由治

スタッフ

監督:土屋信篤
撮影:木塚誠一



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