大自然に挑む 赴戦江水力発電工事の記録

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作品概要

製作・企画不明
静止写真での解説 31分4秒

1925年夏から久保田豊らが現地で調査を開始。1926年1月27日、日窒コンツェルンの全額出資で朝鮮水電株式会社が設立され、赴戦江ダムと赴戦江発電所の建設が始まる。赴戦湖(標高1200m)の湖水は27.5kmのトンネルを通じて咸鏡山脈南麓の城川江に落とされ、20万KWの電力は朝鮮窒素肥料株式会社・興南工場で使用された。

ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典
赴戦江ダム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B4%E6%88%A6%E6%B1%9F%E3%83%80%E3%83%A0
最終更新 2019年10月26日 (土) 13:11

赴戦江ダムの工事を静止写真により解説した作品。
この建設で中心的な役割をした野口遵氏に関して、映像提供者の藤田栄之助氏から下記の付記を頂きました。
「野口遵氏は1873年石川県に生まれる。1906年、無名の若者時代に鹿児島県にて曽木発電所を設立。その電力で化学製品製造に着手。1914年にイタリアにわたりカザレー式アンモニア合成法の特許権を買収し、1923年宮崎県延岡に日本最初のアンモニア合成工場を建設し、事業化に成功した。その成功を基に南九州から朝鮮半島にかけて大水力発電所を建設し、その電力で肥料、繊維、化学工業薬品、火薬などの一大化学工業コンビナートを建設し、多数の企業団日本窒素コンツェルンを形成した。1944年伊豆韮山にて没。71才。戦後、日本窒素グループは財閥解体され旭化成、チッソおよび積水化学などの企業に分かれた。」

参考

「古い考えかもしれんが、報徳とか報恩ということが、おれの最終の目的だよ。そこでおれに一つの考えがある。自分は結局、化学工業で今日を成したのだから、化学方面に財産を寄付したい。それと、朝鮮で成功したから、朝鮮の奨学資金のようなものに役立てたい。」

こうして私財3000万円(現在の価値で約300億円)のうち、2500万円で化学工業を調査研究するための「財団法人野口研究所」が設立され、500万円を朝鮮総督府に寄付して「朝鮮奨学会」の原資とした。日本にも古今、富豪と呼ばれる人は数多いが、全財産を投げ出してまで社会貢献を志した例は、あまりないのではなかろうか。

引用
公益財団法人 野口研究所 ― 創設者 野口遵について
https://www.noguchi.or.jp/about_noguchi.php?lang=ja



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