科学映画の活用法

「生命誕生」のデジタル復元について

東京シネマ新社代表岡田一男

東京シネマ新社代表
岡田一男

科学映像館が配信する動画の第1弾となる「生命誕生」(1962年東京シネマ作品)は、何回もフィルムからビデオへの変換(いわゆるテレシネ作業)を行う機会に恵まれた作品である。

1970年代後半には、16mmカラーでプリントから池上製作所のプランビコン撮像管方式テレシネ装置により、3/4インチUマチックで収録したものであった。IMAGICAの前身である東洋現像所で作業したかと記憶する。

1980年代に入って、英国のランク・シンテル社のフライング・スポット・スキャナー方式のテレシネが登場した。それまで日本テレビのニュースフィルムの現像を主要業務としてきた東京光音が、テレシネ作業をランク・テレシネで行うようになった。

その業務開始の頃に1回、次に1990年代初めに小林米作氏が現場を引退されるにあたって、氏のためにニュープリントを焼くにあたってもう一度、SDレベルでのテレシネ作業を行った。いずれも16mmプリントからのベータカム、ベータカムSPビデオカセットへの変換であった。今回、比較のため「科学映像館」から配信されるSD画像は、この時テレシネ作業した画像である。

このほか、80年代末だったか業界団体が通産省補助金で行った事業で、IMAGICAが16mmプリントからアナログ1インチのハイビジョンに転換したことがある。UNIHIという普及型のカセットにもコピーされ、当社にもそれらが送られてきたがこれまで見る機会もなく朽ち果てようとしている。

倉庫に眠っているこれらのビデオは、再生装置の消滅により、見ることすら不可能になっている。しかし、たかだか十数年の時を経て今回得られた画像と比較したら、あまりの画質の差に人びとは唖然とされることであろう。

1980年代から90年代にかけて、大手現像所系のビデオラボは、1インチCフォーマットあるいは、D2といった放送用送出用メディアでのビデオマスター作成を推奨していた。そのメリットも分からないではないが、しかし私はインハウスで処理のできるフォーマットにこだわり続けてきた。

科学映像の製作においては、撮影を行ってただちに結果の見られるビデオ撮影が、特に顕微鏡撮影などでデリケートな生物を扱うとき、フィルム撮影より大きなメリットを持つ。それと同じように、好きなときにただちに必要な部数のコピーが作成できるメリットもまた、重要だと考えるのだ。

自社内に1インチあるいはD2の機器を持つことは、コストパフォーマンスからして考えられなかった。それで自分たちがビデオ収録を行うフォーマット、ベータカムSPでのマスター作成にこだわった。同じ理由で、デジタルビデオに移行するにあたっては、ソニーが業界標準と推奨したデジタルベータカムを避けて、ベータカムSPの後継フォーマットにDVcamを、さらにはHDVを選択した。

「生命誕生」は、たまたま16mmカラープリントでテレシネを行ってきているが、もう1つの私のこだわりは、ネガテレシネである。いまだ、フィルムでの撮影が基本であった80年代の初期に、ネガテレシネに取り組み始めた。それは鮮明度がはるかに良く、発色も良いからなのだが、いくつも障害を乗り越えねばならなかった。

日本の現像界の最大手のIMAGICAとは、同社が旧社名東洋現像所として1954年にイーストマンカラーの現像を始めたときからのお付きあいなのだが、残念ながら編集済みネガ原版のテレシネ作業には、消極的だった。現像から上がったネガ・ロールを扱うなら簡単であるが、フィルムセメントでつないだ編集済み原版をテレシネ装置にかけるとさまざまなトラブルが発生するからだ。しかし東京光音の技術者たちは、そのトラブルを1つ1つ克服していった。

私のネガテレシネの可能性を確信させてくれたのは、いずれも90年代前半の、2つのできごとであった。まず「東北のまつり 第3部」(1957年作品)を16mmポジプリントと、35mmネガ原版と双方同時にテレシネ作業するチェンスが来た。そこで双方のメリット、デメリットを深く検証することができた。

また1994年、ハイビジョン試験放送の初期に、松下電器産業がユニバーサルと共同でハリウッドに開設したHDテレシネラボへ「マリン・フラワーズ 腔腸動物の生活圏」(1975年東京シネマ新社作品)のネガ原版を、持っていって作業した。1970年代半ばに、東洋現像所がつけてくれた最も有能なタイミング技術者が遂に35mmポジフィルムでは補正しきれなかった色補正を、アメリカのカラーリストは難なくやってくれた。HDテレシネは、オリジナル原版が潜在させる可能性をフィルム以上に引き出せるのである。

「マリン・フラワーズ」をアメリカに持っていくにあたって、原版搬出にはIMAGICAのお世話になったが、テレシネ作業についての技術的な問題点の検討を、東京光音の当時の所長、斎藤氏とあらかじめ行って私はハリウッドへ向かった。

今回の「生命誕生」は厳然とした科学映像なので、3:4という縦横比を守っていわゆるエッジクロップ(左右に黒い部分を置く)でフレームどりをしている。通常は、HD画像は9:16というフレームなので、横長のいわゆるレターボックスフレームでコピーされる。

90年代半ば、IMAGICAやソニーPCLといった大手ビデオラボは、フライング・スポット・スキャナー方式のHDテレシネを行わず、いわばHDTVのカメラヘッドでフィルム原版のフレームを接写撮影するようなテレシネ装置を使用していた。今回のようなエッジクロップで行くなら、そうした装置でも問題はないのだが、3:4の画面を9:16に切るとなると途端に問題が発生する。構図によっては、頭が切れたり、足元が不自然に切れたりする画面が続出する。

当時、日本で行われていた装置のカメラヘッドはもともと9:16のHDTVのカメラヘッドを利用していた。そのため、リアルタイムにカットごとの構図の調整など、実質的にできるものではなかった。

フライング・スポット・スキャナー方式の場合、3:4の大きなフレームメモリーに画面は蓄積されるので、容易にリアルタイムのフレーミングができた。アメリカで体験したのはまだプロトタイプであったが、後年、この方式を進化させた装置を東京光音も導入した。

昨年初夏にも35mmフィルムからのHDテレシネの有効性を確認する機会はもう1つあった。私は国立歴史民俗博物館の民俗研究映像「AINU Past and Present マンローのフィルムから見えてくるもの」の制作と、引き続く「マンロー資料デジタル化プロジェクト」の共同研究・連携研究に加わっているが、そこで1930年に撮影されたアイヌの熊送り儀礼の35mmポジプリントを思い切ってHDテレシネでビデオ転換した。映像制作そのものはDVcamというSDレベルの作品であるにもかかわらずである。そこで得られた成果は、埋もれていた画像情報が浮き上がってくる、まさにエキサイティングなものであった。

その興奮のさめやらぬ2006年8月13日に茅ヶ崎で催された、小林米作フィルモグラフィ出版記念「科学映画と音楽の午後」で久米川正好先生とお目にかかり、私は将来のデジタル科学映像アーカイブスは、たとえ現時点でのインターネット配信がそのレベルに達していなくとも、HDテレシネで行うことが肝要であるという持論を申し上げた。現時点では、SDレベルでのネガテレシネすら決してポピュラーとは言えない。リーディングカンパニーのIMAGICAがあまりに消極的なのだ。

過去には、やってみようというものの意思をくじくような料金設定であったが、最近では作業そのものから手を引いているとも聞く。しかし結果は一目瞭然、ご覧の通りなのである。

IMAGICAの関係者が科学映像館のウェブサイトをのぞくことがあったら、考えを改めてもらいたい。良い仕事をしてくれた東京光音の皆さんには、心からのねぎらいの言葉を送りたい。そして私の持論を受け止めてくださった久米川先生には、深く深く感謝する。

科学映像館の仕事は、数十年前に製作され、ともすれば人びとの記憶から去りかけている作品の内から、現代においてもさらには将来においても、生命力を失わないであろう作品を厳選し、それらに新しい力を吹き込んで、未来に向かって発信することであると思っている。デジタル処理によって新らたによみがえった「生命誕生」のHD画像は、その第1弾にふさわしい。

「科学映像館」のHD化画像配信の日に 2007.05.01 岡田一男

ページの先頭へ戻る