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作品概要

撮影・編集:上原芳明 カラー

(1)今、残さねば             ~08:02
(2)清流の陰に              08:03~12:39
(3)初めてのインビュー作品        12:42~17:50
(4)私も舞ってみたいな大空を       17:56~21:38
(5)ばあちゃんと半田そうめん       21:42~31:06
(6)スリーセブンバースデイinあなぶき   31:07~38:33
(7)私の観た阿波和三盆糖         38:36~47:23
(8)26年ぶりの阿波和紙製造所を訪ねて   47:24~56:56
(9)見たことがありますか漆塗りを     56:57~01:05:04
(10)阿波特産もち米菓子製造所を訪ねて   01:05:05~01:13:53

今、残さねば(1996年)

穴吹町では舞中嶋に洪水会館のようなものを誘致する考えだったようです。そのために、専門家の真貝先生を招き、お話を聞くとともに、地域の長老に洪水時の体験を語る会を開き、その記録をビデオに残すよう私に依頼されました。しかし、洪水会館のようなものは陽の目を見ずに終わったようです。今また、洪水の歴史跡を尋ねる企画などをしているようです。

当時講師をされた真貝先生は、若くして亡くなり、語る会で参加者で司会者の谷奥さん当時最長老の飯沼先生、私たちの先輩・大塚先生など、多くの方が亡くなっています。

私の住所は、小島ですが、谷水が溢れ鉄道にせき止められやはり浸水を常に体験してきておりましたが、語る会では、飼っていた馬の避難や百足や蛇が洪水のために家に避難してきた話など、驚くような話に聞き入りました。

清流の陰に(1997年)

昭和50年51年穴吹川上流古宮地区は大雨であらゆる所に山崩れが起き、道路が寸断され、多くの家庭が他地区への移住を余儀なくされた。その家族の一部(約10戸)が我が地区(小島地区)に移住されてきました住み慣れた我が家をすてて移り住んで来られた古宮地区の人の悲しみを思い、四国一の清流と言われ、今や多くの人(他町村や他県から)が川遊びに来ている穴吹川であるが実は、清流といわれてもてはやされているけれども、その陰には悲しい歴史があったことを知ってほしいと考えて制作しました。

初めてのインビュー作品(1998年)

努力賞受賞
穴吹町(美馬市合併前)では、その清流を売り物に筏下り大会を実施してきました。私は筏下り大会の記録を撮ってきましたが、単なる記録では面白くないと考え、初めてインタビューを試みました。そのインタビューが以外によかったのでと思っています。

私も舞ってみたいな大空を(1999年)

優秀賞受賞
私は、徳島県文化の森ビデオコンテストに出品すべく良き題材を探していましたがこの年は、これといった題材が見つからず、たまたま美馬町の三頭山からパラグライダーが飛び立つというのでビデオ仲間と二人で撮影に行きました。そこで見たパラグライダーの爽快感にすっかり魅せられました。

もう一つ驚いたことは、撮影を終わって山から里に降りてきたら、降下しているはずのパラグライダーが集団となって上へ上へと昇っていっていることです。後で、知ったことであるがある場所に上昇気流があり、そこを目指してパラグライターを操っていることを知りました。単なるスケッチ作品と考えましたが適当な作品が作れなかったので、それをコンテストに出品したところ、意外にも優秀賞という賞をいただきました。思いがけない受賞で大変うれしくおもいました。

ばあちゃんと半田そうめん(2000年)

優秀賞受賞
半田そうめんの製造過程は、私が8ミリ映像作品の処女作として徳島県教材コンテストに出品し、第1位という賞をいただき、大いに自信を得ました。その後、徳島県では年1回文化の森ビデオコンクールが開催され、県内のアマチュアビデオ作者がその腕を競ってきました。毎年ビデオ題材に困りもう一度「半田そうめん」の製造過程の撮影を考え、今回は88歳のおばあちゃんの目を通してその製造過程を追ってみました。

なお、おばあちゃんも亡くなり、ご夫婦でされていた奥様も若くして亡くなりました。現在は、おばあちゃんの息子さんと他の人で「そうめん」作りを続けられていると聞いています。

スリーセブンバースデイinあなぶき(2002年)

穴吹町の郵便番号は777という大変ラッキーな番号が当たりました。町ではそれを活かして何か行事ができないかと考え、平成7年7月7日に誕生した全国の子供が7歳を迎えた時、穴吹町に招待するというユニークで大きな行事を計画し、実施しました。その時の記録です。

私の観た阿波和三盆糖(2002年)

阿波和三盆糖の制作過程で砂糖きびから絞った砂糖を板の上ですくいながら捏ねる作業がテレビでよく放映されていました。その独特の作業が魅力的であったので私も自分の目で見たいと思い、我が家から1時間以上もかかる板野郡上板町泉谷の岡田製作所まで行ってその制作過程を撮影しました。砂糖きびは沖縄と思っていましたが岡田製作所周辺ではこの土地特有の竹糖という砂糖きびが生産されていました。

26年ぶりの阿波和紙製造所を訪ねて(2003年)

優秀賞受賞
その昔、阿波和紙の制作過程を26年前に8ミリで撮影し、その作品は8ミリビデオ雑誌で入賞できました。また、製作所からも、制作過程を皆さんに見てもらえるということで喜ばれました。ビデオ作品の題材を探していた私はもう一度、その様子を撮りたいと思い同所を訪ねました。しかし、新しい製造過程は企業秘密ということで撮影を許してくれませんでした。昔ながらの製造工程を見せる和紙会館は特別に作られており、そこは撮影させてくれました。特殊な紙を少しずつ制作しているようでした。

見たことがありますか漆塗りを(2004年)

優秀賞受賞
半田町は「半田そうめん」で有名ですが、その昔、漆塗りでも有名だったようす。その伝統を竹内さん(現在は亡くなっています)が、もう一度復活させようと努力していました。たった一人漆塗りを続ける竹内さんを訪ね、その様子を撮影させていただきました。しかし竹内さんが亡くなったので、もうその伝統は消えてしまいました。

阿波特産もち米菓子製造所を訪ねて(2005年)

優秀賞受賞
その昔、嫁さんをもらうとその家は必ずお嫁さんのお土産といって「花嫁菓子」を子供たちに配る風習がありました。美馬市脇町で今でも昔ながらの方法で「花嫁菓子」を作っている所があるというので撮影しました。



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