日本住血吸虫

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医学・医療東京文映

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日本住血吸虫
人類の名のもとに
昭和町風土伝承館 杉浦醫院
日本住血吸虫の今~フィリピン1996~

受賞歴

科学技術映画祭長官賞、国際科学映画協会大会名誉賞

作品概要

制作:東京文映 企画:イカリ消毒
1976年 カラー 22分

東南アジアを中心とした寄生虫病で、日本ではかつて甲府盆地で地方病と呼ばれた「日本住血吸虫症」について解説した映像作品。

日本住血吸虫症

1904年、岡山医学専門学校(現岡山大学)の桂田富士郎教授が、有病地の1つであった甲府盆地からネコを持ち帰り、その体内から吸虫を発見し、これが日本住血吸虫と命名される。

次いで1913年、九州大学の宮入慶之助教授が、中間宿主としてミヤイリガイを特定、地方病撲滅への活動が始まった。様々な対策が行われる中、ミヤイリガイの生息地である緩やかな流れの用水路等を、コンクリート化し流速を高めることによって貝が生息しにくい環境を作ることが非常に効果的であるとわかった。しかしながら当時のセメントは高価なものであり、用水路をすべてコンクリートで覆うなどという事は県の財政では実現が困難であり、この案の採用を見送られることになった。

しかし第2次世界大戦後に全国で圃場整備が進められるようになった中、有病地には潤沢な資金が国庫からつぎ込まれ、率先して整備が進められることとなった。その結果ミヤイリガイも日本住血吸虫病も瞬く間に減少し、1978年以降、新規患者の報告はなくなった。

1996年2月、最大の感染地帯であった甲府盆地の富士川水系流域の有病地を持つ山梨県は、日本住血吸虫病流行の終息を宣言した。115年にわたる地方病対策の成果である。現在では、医学部においても寄生虫病学教室すら存在しない。

本症は腸チフス様の高熱と下痢、粘液便の排出が続く。食欲不振や腹痛といった症状のほか、肝や脾臓が肥大する。慢性期になると消化器障害と肝障害を併発して、全身は衰弱して死に至る。少年期に感染すると、心身の発育不全となる。

製作者は「日本住血吸虫症の患者はアジアの地域で4,000万人もいると言われている。医学の進歩が目覚しい現在、なぜこのような病気が撲滅されていないのだろうか? 私たちは科学映画の眼によって、この風土病の生態を明らかにして日本住血吸虫症撲滅の一助にしたいと願うものである」と記している。

監修

筑波大学教授 安羅岡一男教授
東京大学教授 田中寛教授

指導

筑波大学 入江勇冶
東京大学医科学研究所 松田肇
イカリ消毒技術研究所 永沼清久

後援

日本熱帯医学協会、日本寄生虫予防会

協力

フィリピン保健省、住血吸虫対策研究所、山梨県

スタッフ

企画:黒澤聡樹、黒澤真次
製作:土屋祥吾
脚本:米内義人
撮影:山本博司
顕微鏡撮影:豊岡定夫
助手:鈴木啓文、和田光信
音楽:愛場俊彦
解説:小早川正昭

この映画は製作された当時のものを、無修正で配信しています。



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